前十字靭帯は膝のなかにある靭帯で、後十字靭帯とともに膝関節の安定性を維持しています。とくに前十字靭帯は、大腿骨(太ももの骨)に対して脛骨(脛の骨)が前方へずれるのを制御しています。また前十字靭帯は、後十字靭帯とクロスすることで膝関節が伸びすぎないようにしたり、内側に向きすぎないようにしています。
前十字靭帯は細かい線維の束でできていて、断裂のしかたは部分断裂と完全断裂に分けられます。
前十字靭帯が切れてしまうと、大腿骨に対して脛骨が前方へ変位するのを制御できなくなり、痛めた足にうまく体重をのせることができなくなります。また、大腿骨と脛骨の骨の間には、半月板というクッションがあり、前十字靭帯の断裂によって膝の不安定が続くと、この半月板が大腿骨と脛骨に挟まれて損傷しやすくなります。
また、前十字靭帯は後十字靭帯とクロスすることで膝関節が内側に向きすぎないように制御していることから、前十字靭帯が切れるともともとある膝蓋骨内方脱臼が悪化したようにみえることがあります。
▶︎膝蓋骨脱臼について
前十字靭帯の完全断裂が生じた場合、突然後肢を挙上します。その後数日で後肢を下ろすようになりますが、体重をうまくかけられないような歩き方(負重性跛行)が続きます。半月板を損傷した場合には、後肢をあげてしまうといった目立った症状が現れます。
一方で、前十字靭帯の部分断裂は早期診断が難しく、寝起きや動き始めに後肢をかばうものの、運動制限や痛み止めで症状が改善し、治療をやめると症状が再発するという経過を繰り返すことが多い傾向があります。また、すわるときに後肢を投げ出すようにすわることがあります(シットテストと呼ばれます)。
犬の前十字靭帯損傷は、靭帯の加齢性変化(変性)が背景にあることがわかっていて、散歩やジャンプといった日常生活の一環で靭帯の断裂が生じます。一方、ヒトの前十字靭帯損傷はほとんどが外傷性であり、スポーツ選手のケガの原因になることが多いです。また、犬の前十字靭帯損傷は靭帯の変性を伴って生じることが多いので、どちらか一方の前十字靭帯が断裂した場合、約40%の確率で反対側の靭帯損傷が生じるとされています。また、前十字靭帯断裂の診断をした際に反対側の膝のレントゲン画像に異常がある場合にはその発生率は60%以上になると報告されています。
すべての犬で靭帯損傷が生じる可能性がありますが、成長期に損傷することは少なく、中年齢以降(6,7歳~)に多いとされています。小型犬ではトイ・プードルやテリア系犬種、チワワ、ポメラニアン、パピヨン、マルチーズ、中型犬では柴犬やウェルシュ・コーギー、コッカー・スパニエル、ボーダー・コリー、大型犬ではラブラドール・レトリーバー、ゴールデン・レトリーバー、バーニーズ・マウンテン・ドッグ、ロットワイラー、ニューファンドランドなどが好発犬種としてあげられます。
前十字靭帯の完全断裂は、触診によって膝関節の不安定を検出できることがほとんどですが、部分断裂では膝関節の不安定が生じないことが多いため、レントゲン検査や神経検査、関節液検査、関節鏡検査などさまざまな方法を組み合わせて診断します。
前十字靭帯断裂の診断ではとても重要な検査です。
どちらも前十字靭帯の完全断裂による膝の不安定を検出するのに有効な方法ですが、部分断裂を診断するのは困難です。
前十字靭帯の完全断裂あるいは部分断裂では、膝を伸ばすと痛みが生じます。
内側瘤は、前十字靭帯の部分断裂を疑うのに重要な変化で、膝に慢性的な問題を抱えているときに現れる内側の瘤のような腫れです。
もっともわかりやすいのは、大腿骨に対して脛骨が前方に変位していることを確認することです。膝のなかに水がたまっていないか(関節液貯留の有無)どうかも重要な所見です。他には関節炎所見がないか、骨が溶けていないか(骨吸収像の有無)を確認します。
膝蓋骨脱臼、慢性骨関節炎、股関節形成不全、大腿神経麻痺、馬尾症候群、炎症性関節疾患、腫瘍性疾患など
保存療法と外科療法に大きく分けられ、後肢の最適な機能を回復させることを目標にする場合には外科療法が推奨されます。また、保存療法によって症状の改善が乏しい場合には、半月板を損傷している可能性があるため、外科療法に切り替える必要があります。
約6週間のケージレストと痛み止めの処方を行うことで、大腿骨に対して脛骨が前にずれた状態で安定化するのを待つ方法です。体重5kg以下の犬では保存療法によって症状が良くなることが多いものの、膝の不安定が残ったり、外科療法に比べて関節炎が進行しやすい傾向があります。
近年では、保存療法のひとつに装具を使用できるようになり、手術を希望されない場合や麻酔のリスクが高い場合に有効な選択肢となります。
外科療法では痛みの原因を除去し、膝関節を安定化させます。
痛みの原因は半月板損傷によることが多いため、関節内をよく調べます。続いて膝関節の安定化を行いますが、術式は以下の方法に大別されます。
自己の組織(膝蓋靭帯の一部)を使って前十字靭帯を再建する方法です。再建した靭帯が伸びたり断裂することがあり、近年ではあまり選択されなくなっています。
関節包という関節の“袋”を外側から縫合糸で縛って膝を安定化させる方法です。
当院ではFlo法(変法)という術式を行なっています。
この方法は1970年代に開発された方法で、多くの機材を必要とせず安全に実施できる術式ですが、関節包には神経があるので糸でしばることで後肢をかばう期間は長くなる傾向があります。また、糸が緩むと膝の不安定が生じる可能性があります。
骨を切って向きを変えることで、膝にかかる負荷を中和させる方法です。
当院では脛骨高平部水平化骨切り術(Tibial plateau leveling osteotomy;TPLO)という術式を行なっています。この術式は膝関節において、大腿骨を「ボール」に、脛骨を「台座」に例えると、犬の台座はヒトに比べて傾いており、ボールに台座を押し付けると(足を地面について負重することを模倣)、台座は前方に変位します。この台座の傾きは、「脛骨高平部角(Tibial Plateau Angle:TPA)」と呼ばれ、TPLO法はこの傾きを小さくすることで、膝関節の安定性が回復するという術式です。
入院は約1週間で、管理の方法は手術の方法により異なります。
関節外法を実施した場合には、術後2週間はロバート・ジョーンズ包帯というやわらかい包帯の着用を継続します。関節を安定化させた糸が緩みにくいように術後6–8週間は運動制限を継続します。
TPLO法では、術後はじめの5日間のみロバート・ジョーンズ包帯というやわらかい包帯を巻いています。退院後は術後2週目まではケージの中で安静にさせ、それ以降4週目まではジャンプは控えさせて屋内自由運動になります。術後4週目からは徐々に散歩を再開し、少しずつ時間をのばしていきます。
術後のリハビリは手術を行なった足の機能回復の助けになります。
当院では術後翌日からレーザー治療を開始し、関節周囲のマッサージを行います。TPLO法のようにインプラントによって十分な関節の安定性が確保できている場合には、術後4週目頃から屈伸運動など本格的なリハビリテーションを開始し、元気に歩けるようになったら終了しています。
どの術式を選んでも長期的な予後は良いとされていますが、方法によって成績と回復にかかる時間が異なります。たとえば関節外法(Flo法変法)よりもTPLO法の方が短期的な機能回復は早いとされています。過去の報告では、術後85–90%の犬に改善が認められています。
前十字靭帯を痛めた場合、慢性関節炎はゆっくり進行していきますが、外科療法のなかでもTPLO法などの矯正骨切り術の方が進行を遅くすることができるとされています。