炎症性乳がん

腹腔内腫瘍の診断は「名前」よりも「意味」を考えることが大切

腹腔内にできる腫瘍は、触診で確認しにくく、

・「どこにできているのか?」
・「何の腫瘍なのか?」
・「そもそも手術して良いのか?」

と迷うことが多い疾患です。
本症例では、**「腫瘍の名前が分からないままでも、取る意味があるか?」**を第一に判断し、手術に踏み切りました。

症例

ミニチュア・ダックスフンド 10歳 避妊メス

主訴

乳腺部の腫瘍再発と皮膚の腫れ

経過と初期の治療歴

本症例は、約半年前に他院で乳腺腫瘍の部分切除手術を受けており、病理検査では悪性乳腺腫瘍・リンパ管内浸潤ありとの結果でした。再発後に再手術も行われましたが、最近になり術創周囲に再び腫瘤が発生し、急速な腫脹を認めたため当院に来院されました。

局所所見

左側腋窩から乳腺にかけて複数の硬い腫瘤が散在
一部は皮膚にまで浸潤し、発赤・熱感あり
乳腺から離れた皮膚にも赤い腫瘤を複数確認

一般身体検査

食欲低下と患肢の跛行を認める
他の全身状態に大きな異常は認めず

画像診断

明らかな転移所見はなし

細胞診

乳腺部および遠隔皮膚病変から、同一の悪性細胞群を検出
皮膚リンパ管を介した腫瘍の広がりが強く疑われました

診断と問題点

本症例は、皮膚リンパ管浸潤を伴う悪性乳腺腫瘍と診断されました。
このタイプの腫瘍は、視認できない病変が皮膚全体に広がっている可能性が高く、外科的切除のみでの根治は困難です。

・遠隔部皮膚への腫瘍浸潤
・短期間での急速な再発
・浸潤による筋拘縮と疼痛

といった所見から、炎症性乳癌の可能性も考慮されました。

※クリックすると画像が確認できます

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赤矢印:皮膚リンパ管 青矢印:リンパ管伝いに形成された病変

インフォームドコンセントと手術決定の経緯

飼い主様は、以下のことを強く懸念されており、対症的手術を希望されました。

・跛行による生活の質の低下
・自潰しそうな病変からの感染リスク

以下の点をご理解いただいたうえで、手術を決定しました

・根治は困難であること
・効果が一時的である可能性
・術後に再発・転移・浮腫などが起こりうること

手術所見

・腫瘤は浅胸筋まで深く浸潤
・筋間・筋下にまで数珠状の腫瘍細胞の浸潤を確認
・皮膚の緊張を考慮し、過度な引き攣れを避けた切除を実施

術後の生活の質の低下を招かないことが最優先となりました

※クリックすると画像が確認できます

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術後経過と再発

・術後3週目:創部の治癒良好・跛行は著しく改善

しかし、腋窩部に新たな皮膚病変を確認

その後

・患側前肢に浮腫が出現
・胸水の貯留と呼吸状態の悪化
・術後約6週間で癌性胸膜炎によって永眠

獣医師の考察

本症例のように、皮膚リンパ管へ強く浸潤する乳腺腫瘍は、局所の対症手術でも十分な効果が見込めない場合が多いです。

手術の意義と限界

・苦痛の一時的な軽減という点では一定の意義はあったものの、
・対症効果は1ヶ月も持たなかった

あのときの痛々しい姿を少しでも改善したいという飼い主の想いに応えるための手術でしたが、根治が難しい乳腺腫瘍の現実を改めて感じる結果となりました。

今後への提言

・リンパ管内・血管内浸潤が病理検査で確認された場合は、早期の拡大切除が望まれます(局所制御の可能性を残すため)
・近年は、分子標的薬「パラディア」の有用性が報告されつつあり、当院でも転移の縮小や再発抑制の例がみられます
・今後は外科だけでなく内科的治療との併用も選択肢となるでしょう

まとめ

皮膚浸潤を伴う乳腺腫瘍は、極めて進行が早く、予後が厳しい病態です。
その一方で、苦痛を和らげるケアとしての手術や薬物療法は、症例や飼い主の希望に応じて柔軟に選択されるべきと考えます。